礼拝メッセージ

レジュメ

◇人生の道、信仰の道は必ずしも順風満帆に進むとは限りません
◇このエマオへの道を進む者への神のメッセージを今日聞こう

Ⅰ 後退(老い、落ち込み)の道を歩む人の特質と
◆その人への主の働き

1.深い葛藤がある ― ◆主は近づき、共に歩んでくださる(13-15)
2.近づき共に歩んでくださる主が分からない理由は?
― 目がさえぎられている(強い力に捕らえられて)(16)
◇後向きになっている時、誰でも十字架と復活の意味がわからなくなる
(17-24、ガラテヤ 3:1)
◆主はそんな私たちの心のレベルにまで降りて来て近づき、やさしく語りかけてくださ います「何のことですか」(17)、「どんなことですか」(19)
3.聖書のことばが遠いことばになっている(25-27)
◆主は聖書を解き明かして近いことばにしてくださる(27)
◆心が暖かく燃えてくる(32)
4.人が究極的に捕えられるサタンの強い力は何ですか(17-24)
死 ― 十字架の死
虚無 ― 復活による空っぽの墓
この二つは福音そのもの。しかし彼らにはそれが分からず、捕らえられていた
◇人間は死の現象は分かっていても、死の本質については分かっていない
◇死の本質は否定の極致。すべての望みが否定され、虚無そのもの
◇聖書の中に死は三つある ― 肉体の死、永遠の死、霊の死(ローマ 6:23,8:6)
◇人間の全存在の中心にこの死と虚無の空洞がある
◇「神さま、あなたが私を創られたのですから、あなたによらなければ満たされない空 洞が人間にはあります」(アウグスティヌス)
= 原罪(氷点)、自我の罪、罪と死の原理(ローマ 8:2)
◆ここがイエスさまの十字架と復活が働く場所。この空洞はそれ以外の何物によっても 満たされることはない
◆私たちの恐れは全て、本来神さまが働かれる場所を人間の何かで埋めようとするため に起こってくるものです

Ⅱ この逆戻りの道で、主と出会い、主を体験し、前進の道へ転換する秘訣は

(1)どんなに後退の道を進んでいても、主が近付いて語りかけてくださる
(2)「あなただけが知らないのですか」と主を棚上げしない(18)
(3)「一緒にお泊りください」と親しい、やさしい主との交わりを熱心に求める(29)
「泊まる」の三つの意味 (1)滞在する (2)住む、共に一体となる
(3)妨げるものに立ち向って踏みとどまる(復活体験)
(4)み体をさかれた十字架の主と出会う(30、ヨハネ 6:48、マタイ 26:26)
私たちも概念や象徴としての十字架でなく、リアルに裂かれた十字架の主を見る
◇自らの弱さ、限界、罪をありのまま主に告白し、救いを求める時、主がそのどうに もならない私と共に十字架にかかり、既に解放していてくださることを見せてく ださる(ガラテヤ 2:19b,20)(十字架体験)
(5)どんなに逆戻りの道を歩んでいても、このエマオ途上のキリストに出会う時、誰 でも喜びと勝利と力に満たされ、エルサレムに向い、一気に走る者になります

最後の臨終の時にも「一緒にお泊りください」とお願いすることは上記三つの意味全て に通ずる祈りになる

み言葉

ガラテヤ 3:1

1 ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、 あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。

ローマ 6:23,8:6

6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスに ある永遠のいのちです。 8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

ローマ 8:2

2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなた を解放したからです。

ヨハネ 6:48

48 わたしはいのちのパンです。

マタイ 26:26

26 また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子 たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」

ガラテヤ 2:19b,20

19b 私はキリストとともに十字架につけられました。
20 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が 肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御 子に対する信仰によるのです。