「人生の達人としてのクリスチャン像」
ピリピ書 3 章 7-16 節
メッセンジャー:小笠原 孝師
5/1 2022
レジュメ
序
◇パウロのクリスチャン像はゴールを目指してひた走る動的なランナー
◇「大人(成人、完全)である人 ←―→ すでに完全にされているのではない(15,12)
◇この矛盾点 ―→ クリスチャンの現実的な矛盾
◇イエスさまの十字架による完全な贖いのレールの上を不完全な私たちが不完全なトロッコに
乗って完全なゴールを目指して走っている ― これが私たちクリスチャンの歩み
◇完全な恵みの中で未熟な私たちは成長していく
◇パウロはこのことを過去、現在、未来の中で説明している
Ⅰ 過去(7-9)― スタート
◇学歴、業績、地位 ― 今迄得と思っていたものを損と思う程の価値の大転換
・ちり、あくた ←―― キリストの絶大な価値(8,9)
◇警戒すべき落し穴 ― 過去に何かを得た、捕らえたと思ってしまうと神に委ねて生きる福音信
仰ではなく、自分の過去を誇る律法信仰に陥ってしまう(12)
◇「自分が得た、捕らえた」と思うと自分がだんだん大きくなり、神がだんだん小さくなる
◇自分がしたことを誇ったり、落ち込んだりするエレベーター信仰から抜け出て、自分がしたこ
とを全て忘れて歩む者になりたい(13)
―「ただこの一事に励んでいます」「うしろのものを忘れ」
◇たとえシーソーゲームのように上がったり下がったりしてもイエスさまが支点として支えて
いてくださる
Ⅱ 現在(10-13)― 走り方
◇この「知る」は知識を得ることではない。現実にキリストの十字架と復活を体験すること
さらにキリストの苦しみに与ることも知って、心はキリストの死と同じ状態になり、いつもキ
リストの死を身を帯びながら、どうにかして、それよりもまさる復活に迄達したいという願望
をもって走り続けた(10,11、Ⅱコリント 4:10)
◇私たちが得よう、捕らえようと頑張る大きさよりも、キリストが得させるよう捕らえていてく
ださることの方がはるかに大きい(12)
◇キリストが捕らえていてくださるということは、キリストが私の内に生きておられること
(ガラテヤ 2:19b,20a) 不完全なトロッコの中に共に生きてくださること
◇偉大なキリストが小さくなり、謙って、卑しい、汚れた心の中に宿ってくださるのです
◇本当の人生のトロッコを運転しているのはイエスさまです
Ⅲ 未来(13,14,20,21)― ゴール
◇「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向って進み」(13)
◇「キリスト・イエスにおいて、神が上に召してくださるその賞をいただくために、目標を目指
して走っている」(14)
◇最後に今到達しているところを基準(スタートライン)としてこの人生を新たに出発しよう(16)
み言葉
Ⅱコリント 4:10
10 私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身 に現れるためです。ガラテヤ 2:19b,20a
19b 私はキリストとともに十字架につけられました。2:20a もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。