礼拝メッセージ

レジュメ

Ⅰ栄光の主の変貌の前の私たちの成長のステップ

1.私たちがここにいることはすばらしい(良い)(4)→三つの幕屋

◇モーセは旧約の律法の代表、エリヤは予言の代表聖書全体を指す
◇当時の学者、パリサイ人は如何に聖書を学んでも聖書が予言し証しているイエス

キリスト御自身がわからなかった

◇今も聖書を如何に学んでも当のイエスさまがわからないことがある
◇又、如何にすばらしい霊的体験をしてもそれを与えてくれたイエスさまを見失うことがある
◇この幕屋を作ることはそうした聖書知識や霊的体験を偶像化すること
◇「ここにいることは良し」で前進がなくなってしまう

2.「彼の言うことを聞聴け」という段階に進む(5)

◇「聴け」とはただ単に聞こえているではなく、聴き従うこと
◇その時私たちは前の私とは変わってくることを発見する

それこそイエスが変貌されたことが私たちの中にも部分的に段階的に成就されていることなのです

3.「イエス一人のほかには、だれも見えなかった」(8)という霊的状態に進む

◇その時、Ⅱコリント3:18の言が具体的に実現する
◇私たちは最終的に栄光の体に変えられる迄にも漸進的に霊的栄化されていく

Ⅱこれと同じことをヨハネ3:13でも明らかにされています

◇「この望み」とは前節にある主の再臨の時、キリストに似た者になること、 即ちキリストと同じ栄光体になること(3)

―完全な健康、完全な美、完全な知識になること―

◇この栄化の望みを持つ者は皆、キリストが清い方であるように自分を清くします(3)
◇これを言い換えれば、霊的にキリストに似る者になること
◇即ち主の現れ給う時、私たちは実際に主の栄光体に似る者になるが、そのためには 先ず地上 に於いてキリストに似る者にならねばならないということ (Ⅱコリント3:18)
◇主の再臨の時、キリストのありのままの姿を見ることによってキリストに似た者に変えられるのであれば(2)、 私たちは今御霊によって主の栄光を見ているのですから、 霊的に主と同じ姿に栄光から栄光へと変えられていくのは当然

―栄化の前に霊的栄化される迄変えられよう!―

み言葉

Ⅱコリント3:18

18 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光か ら栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の 働きによるのです。

Ⅰヨハネ3:1-3

1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、 考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、 まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、 キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
3 キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。