礼拝メッセージ

レジュメ

「時が満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)
   新約聖書のテーマ=神の国、神の国の概念=神の支配

Ⅰ神の国の現れのための主の業(11-28)

◇「これらのことを話した後」(28)―この前のミナのたとえ話(11-27)
◇イエスがエルサレムに入城し、人々は神の国がすぐに現れると思っていた(11)
◇イエスはそれを訂正し、究極的な祝福としての神の国はすぐに実現するのでなく
◇その前に罪の問題の解決、十字架による贖いの業が完成される必要があった
――現在の事実としての神の国
◇そのためのミナのたとえ話。1ミナ=イエスの十字架の愛(救い)→商売(宣教と祷告)
◇このエルサレム入城は二つの二重写しの描写

①究極的な祝福としての神の国の実現のための王の入城
②現実の事実としての神の国を始めるために十字架にかかられる苦難の王の入城

◇先に立って進んで(28脚注)⇔世の指導者が自分の名誉、地位のために先頭を切る

Ⅱ神の国の現れのための私たちの関わり(29-40)―3つのキーワード

◇主は神の国の現れのための神の業に私たちを招き入れてくださる

1.ほどく(30-33)―その前に繋がれている(30)、束縛されているということ
主による解放が必要。何に縛られているのか

(1)自分中心(自我)(ガラテヤ2:19b-20)
(2)罪(Ⅰヨハネ1:7,9)
(3)傷、要塞(詩38:5,139:24、エペソ4:27、Ⅱコリント10:4)

2.「主がお入り用なのです」(31,34)

◇私たちが解放される目的は、主がお入り用だからです。主はあなたにまたがり、 あなたと一つになって神の国を完成したい、祝福してあなたを用いたい
◇相対的には持ち主が主、しかし絶対的神の前にはすべてが神のもの
◇しかし時に「私が主をお入り用なのです」という信仰を持ってしまう
◇子ろばは小さく、弱そう。そんな私たちを主は「お入り用なのです」と用いてくださる
◇王の王なるイエスさまをお乗せし、子ろばはどれ程感動し、喜びに溢れて入城したことか

3.大声で神を賛美し、叫んだ(37,38,40)主の降誕物語の天使の賛美と対応(ルカ2:13,14)

―「地の上で平和が」―「天には平和があるように」
「石が叫びます」=祈告(ローマ8:21-24)
「私たちはこの望みのために救われたのです」

み言葉

ガラテヤ2:19b-20

19b 私はキリストとともに十字架につけられました。
20 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。 今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、 神の御子に対する信仰によるのです。

Ⅰヨハネ1:7,9

7 もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。
9 もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。

詩38:5,139:24

38:5 私の傷は悪臭を放って腐り果てました。それは私の愚かさのためです。
139:24 私のうちに傷のついた道があるかないかを見て私をとこしえの道に導いてください。

エペソ4:27

27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。

Ⅱコリント10:4

4 私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。

ルカ2:13,14

2:13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

ローマ8:21-24

8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
8:22 私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。
8:23 それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。
8:24 私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。