礼拝メッセージ

レジュメ

前回の「祈りと従順」の中心は「祈りの答えとしての主のみ声を聞くまで祈り抜く」ということでした。その具体的な祈りのステップの秘訣を異邦人のツロの女から、実際に学ぶ

Ⅰ 少しでも主イエスのことを聞けば、すぐに主のもとに行く(24,25)

◇聖霊は主イエスを顕すことが第一の働き
◇私たちはイエスさまが隠れているように思う、見える
◇聖霊さまは主がここにおられるよと主の臨在を聞かせてくださる
◇私たちは主の臨在を隠してよいのか
◇なぜ、彼女はすぐ主のもとに行けたのか(25) 2つの理由
 (1)自分の窮乏 の意識、渇きがあったから
 (2)他者への愛の意識(26)

Ⅱ 主の足元にひれ伏す( 25)―礼拝の姿―霊と真をもって(ヨハネ 4 :23,24)

◇イエスさまの声が聞こえるようになる
◇(1)主のすぐ近くで、(2)謙って、(3)仰ぎ求めていく
◇祈りとはイエスさまの声が聞こえる所 、御顔が見える所で祈ること

Ⅲ 求め続け、近づき続ける( 26 )「願い続けた」 (第三版)

◇祈るということは継続です。祈りが神さまの力を引き出す一番の武器なので、 祈らせないようにサタンは一番働く。その妨げを越えて祈りを続けることが必要→声に出して祈る(ルカ 11:8,9)

Ⅳ 「主よ、そのとおりです。でも・・・」( 27,28 )(第三版)

◇祈り続けて行くために、この次のステップが大きな鍵となる
◇祈りのターニングポイント なおも祈り続け、取り扱われ、主の答えを本当にいただくための鍵
◇祈りの中でもサタンが自我 に働きかけて何か心をかたくなにさせているものがある(ヘブル 3 :7,8)
◇それを取り除くためには謙るしかない。謙らなかったら神との親しい人格的関係にならない
◇ではどうしたら、主との人格的(透明)な関係で、交わるところまで謙れるのか
◇それは十字架のもとに行くことです。そこに自分の裁かれている姿を見ます。だから謙れる
◇「主よ、そのとおりです。私は十字架につけられる以外の何者でもないものです。 あの十字架は私のためのものです。答えていただく資格もないものです」― 主の審きへの絶対的服従
◇「でも、主よ、食卓の下の小犬でも・・・」―十字架の主の恩寵への絶対的信頼
◇十字架のゆるし(恩寵 )に対して徹底してどこまでも頼り、求めていきましょう。

Ⅴ 「そこまで言うのなら」

しつこさのゆえ、執拗なまでの求め主との生きた透明な関係としての信仰→主との生きた透明な関係としての信仰 (ルカ 11:8,9)

み言葉

ヨハネ 4:23,24

23 しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父 はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。
24 神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」

ルカ 11:8,9

8 あなたがたに言います。この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。
9 ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。

ヘブル 3:7,8

7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、
8 あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。