礼拝メッセージ

レジュメ

◇神は愛 ― いつしか観念、概念になっていないか
◇神に愛されている人とは誰のこと。あなた、私たち一人ひとり
◇神はその独り子、イエスを与えてくださったことにより愛を表された(ヨハネ3:16)
◇ではイエスさまは何をもって神に愛されていることを表しておられるか

Ⅰ 私たちに出会ってくださることによって(1-8)

1.臨在をもって「見ると、そこにひとりの人がいて」(5,6)
◇「ひとりの人」= 受肉前のキリスト。永遠の先在者(黙1:13-16)
◇人は頭で神を知ろうとするが、神は霊 ― 霊の臨在をもって現れてくださる
◇3週間の喪 = 日常から離れる ― 礼拝
◇臨在の神の前に1対1で残る者でありたい(7,8)
2.ことば(の声)をもって(6,9,11,12)
3.全人格をもって(5,6,10,16,18)

Ⅱ 私たちのために十字架にかかってくださることによって(8,9)

◇私たちは栄光の神に出会ったなら、死ぬのが当然(出33:20、イザヤ6:5)
◇どこで死ぬのでしょうか ― 十字架の上でキリストと共に(ガラテヤ2:20)
◇私たちはこの十字架を見上げることにより、どれ程愛されているかを知る

Ⅲ 私たちのために甦り、内住してくださることによって(10-21)

◇臨在と十字架だけでも私たちは弱ったまま残ってしまうことがあり得ます(8,9,15)
◇これだけでも足りない、もう一つ大切なものがある。それは復活 → 内住
◇主は復活を通して、そして内住してくださることを通して、神に愛されていることを表わそうとしておられます
◇「ちょうどその時」(10)。その時とは全く弱くなっている時です、その時復活のキリストがダニエルに触れてくださった  「特別に愛されている人○○よ」(11,12)
◇「ちょうどその時」(16)― うつむいて何も伝えなかった時 ―
復活のキリストがダニエルの唇に触れた ― 胃や腸に通ず。内面を表す
◇復活のキリストが内住のキリストになってくださること。インマヌエル(ガラテヤ2:20)
◇この復活のキリスト、内住のキリストに触れられることにより、恐れが取り除かれ、安心が与えられ、 強められる(18,19)「恐れるな、安心せよ、強くあれ、強くあれ」→ 奮い立つ(Ⅰヨハネ4:4)

結 ゴールはキリストに似た者になること(Ⅱコリント3:16-18、5,6)

◇そのため、主を見上げる必要(5,6)
亜麻布 ― 祭司の姿、金の帯 ― 真理の御霊の帯
緑柱石 ― 中心は柱のようにゆるがない方
頭は稲妻 ― 栄光に輝く頭
目は燃えるたいまつ ― すべてを洞察する目、愛の炎で燃える目
腕と足は磨き上げた青銅 ― 訓練された姿
声は群衆の声 ― 全ての人に通ずる声
◇このお方が内におられる ― 私たちがこのお方から、目を離さず、向いていくこと

み言葉

ヨハネ3:16

16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。 それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

黙示録1:13-16

13 また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。その方は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めていた。 14 その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。 15 その足は、炉で精錬された、光り輝く真鍮のようで、その声は大水のとどろきのようであった。 16 また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い両刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

出エジプト33:20

20 また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」

イザヤ6:5

5 私は言った。「ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。 しかも、万軍の【主】である王をこの目で見たのだから。」

ガラテヤ2:20

20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、 キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、 私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。

Ⅰヨハネ4:4

4 子どもたち。あなたがたは神から出た者であり、彼らに勝ちました。 あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。

Ⅱコリント3:16-18

16 しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。
17 主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。
18 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、
栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、 御霊なる主の働きによるのです。