礼拝メッセージ

レジュメ

◇これは神の都エルサレムに向っていく一生に一度の都詣での歌、巡礼の歌
◇私達にとっては、天にある主の家、天のエルサレムに向う私たちの人生の旅路(ヘブル13:14、黙21:2)
◇コロナ禍によって教会が閉鎖された2ヶ月はこの人生の旅路の原体験
◇荒野の旅路を通して神対我の真の神体験をさせられた歌
◇この貴重な体験をこの歌から振り返り、本格的な人生の旅路のロードマップにしたい

Ⅰ 私の助けはどこから来るのか(1,2)

◇人生の障害の山々(コロナ、人間関係、病・・・)に目を留めるのでなく、に向って目を上げる
◇その時、天を見、地を見る → 「天地を造られた主から来る」 信仰の原点

Ⅱ 助ける方はどういうお方か(3-5)

1.天地を造られた方(ローマ1:20)― 創造主
2.贖い主 ― 本来、都詣では自分の罪のために動物の犠牲を献げるために行くもの ― ここには贖い主の神が厳然とおられる(ヘブル12:2、ガラテヤ2:20、Ⅰコリント1:18)
3.守る方(3-8節に6回)― 助け主(聖霊) (1)私達の足を、歩みを守ってくださる方(3、ガラテヤ5:25,16、ルカ16:10)
(2)まどろむこともなく、眠ることもない(3,4、Ⅰテサロニケ5:10)
(3)私達の右手をおおい(贖い)、私たちの働き、活動を守られる(5、使1:8a)

Ⅲ どのように助けてくださるか(6-8)

◇昼も(対外的にも)
◇夜も(内面的にも)
◇すべての災いから守られる
◇あなたの魂を(いのちを)守られる
◇行くにも帰るにも、人生の局面が変わっても守られる
◇「今よりとこしえまでも」、地上の行程だけでなく、永遠の都のかなたまで守られる確かなロードマップを進もう

メッセージ

コロナ禍の中で私に与えられたのが今日の詩編121篇だった。コロナはクリスチャンにとって、 教会にとって、牧師にとって、史上初めての大きな試練であった。試練の中にあったが、 神様の恵みを新しく体験するときでもあった。振り返った時、教会もない、牧師のメッセージもない、 荒野の中にいるような時であり、各自が荒野の中で歩みを進めていたのではないか。しかし、詩編121篇にあるように、 貴重な信仰の体験だったのではないか。そこでは私たちの信仰は完全ではなかったが、神様の守り、恵み、助けは完全であった。 信仰は、自分で頑張って完全になるのではない。神様の守り、恵み、助けというものを信じて、感謝して、それを適応して、実践して進めていくものである。 そのことを詩編121篇から教えらえた。詩編121篇は23篇と一緒に大変有名なものである。神の都、エルサレムに向かって進んでいく、 都詣で、あるいは巡礼の歌であった。しかし、現代の私たちにとって何であるのか。それは天にある神の都エルサレムに向かっていくところの、 全く一生に一度の天国への旅路である。パウロもへブル13:14で言っているように、地上の都ではなく、天にあるすばらしいエルサレムを待ち望んでいる、 それが私たちの一生である。また、黙示録21:2でも、天の都が私たちの住まいとなっていることを暗示している。そうした中に生きている私たちにとって、 詩編121篇意義深いものである。

み言葉

ヘブル13:14

14 私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。

黙示録21:2

2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。

ローマ1:20

20 神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。

ヘブル12:2

2 信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、 神の御座の右に着座されたのです。

ガラテヤ2:20

20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。 今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。

Ⅰコリント1:18

18 十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。

ガラテヤ5:25,16

25 私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。

ルカ16:10

10 最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。

Ⅰテサロニケ5:10

10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになるためです。

使徒1:8a

8a しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。